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夏目漱石生誕141年 [文学]

長年この近くでボウリングをしていたので、大好きな夏目漱石について書いてみようと思います。
漱石については皆さん良くご存知で、今更!!と思われるかもしれませんが・・・
夏目漱石は新宿区喜久井町に生まれ、早稲田南町で育ち、ここで生涯を閉じました。
晩年の9年間を過ごした早稲田南町の家では、本格的執筆活動で、数々の名作を
世に送り出した由緒ある場所でもあります。

この家は漱石山房と呼ばれ、今でも人々の記憶に刻まれているようです。
現在はこの家は残されていないのですが、漱石公園として整備され小さな資料館もあり
案内人もいて、親切に説明をしてくれています。団体でも沢山の人々が訪れているようですね。
 漱石公園と漱石の胸像              資料館
夏目漱石 胸像.jpg 夏目漱石 資料館.jpg
 漱石山房の玄関             漱石の書斎(写真)
夏目漱石 玄関.jpg 夏目漱石 書斎.jpg
 漱石山房の家             ベランダで寛ぐ本人(写真)
夏目漱石6.jpg 夏目漱石4.jpg


夏目漱石は慶応3年(1867)喜久井町に父夏目小兵衛直克と母千枝の五男として生まれる。
時代はまさに幕末の混乱期。その年の11月に徳川慶喜が大政奉還、翌年には戊辰戦争、上野
の山では官軍と彰義隊の凄まじい戦闘が行われています。

生家は町方の名主で11ヶ町を治める家柄でした。父は維新後も区長を務め「喜久井町」の名前
や「夏目坂」の名前も命名したと云われています。ほんとうの「坊ちゃん」だったのですが・・・

漱石の幼年期は家庭的には二度にわたり養子に出されるなど恵まれなかった。「俺は余計者、
要らぬ子として扱われていた」と後年、森田草平に語っているように不遇の少年期を過ごしている。
学業は常に優秀で漢学や文学に興味があり、府立第一中学を退学し、二松学舎に入学している。

その後一高時代に正岡子規と知り合い親交を深め、「談友の友」と呼んでいる。帝大卒業後は
皆さんも良くご存知の愛媛県尋常中学校、熊本五高の英語教師として勤め、33年から英文学
研究のため、イギリスに留学、留学中に正岡子規死去。帰国してから帝大講師、一高の英語講師
を兼任。漱石36歳。その頃から神経衰弱が悪化。

38歳で「我輩は猫である」を「ホトトギス」に発表。評判になり、「坊ちゃん」、「倫敦塔」を発表。
40歳で朝日新聞社入社。その頃から早稲田南町の「漱石山房」で本格的に作家活動を開始。
「三四郎」「それから」「こころ」「道草」などの作品を書き続け、「明暗」の執筆中に49才で死去。
43歳の時伊豆修善寺で療養中に大量吐血して危篤状態になった事も。

漱石49年の波乱の人生を簡単に辿ってきましたが、短いけれど中味の濃い、一生懸命に生きた
証が刻まれている人生だったと思います。彼の作品は、今でも決して古くない何かを伝えてくれて
いるように思いますね^^漱石公園は偉大な漱石を称えるように明るい陽射しの中に佇んでいます。



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